主導権を握ったと判断した日本軍は、3月1日を期して奉天に対する包囲攻撃を開始した。作戦当初、日本軍は陽動として最左翼の乃木希典の第三軍・秋山支隊によってロシア軍右翼を攻撃させ、鴨緑江軍(ロシア軍左翼を攻撃中)と連動させることによってロシア軍の両翼を圧迫し、その両翼に援軍を出して手薄になるはずの正面に対して、大規模な攻勢を展開する意図を持っていた。ところが両翼で第三軍・鴨緑江軍が戦況を進展させている状況になり、奉天正面で激しい攻撃を行ったにもかかわらず、進展が見られないばかりかロシア軍に撃退されてしまう状況が続いていた。これは、カノン砲や28サンチ榴弾砲[1]による準備砲撃が、満州の厳寒によって地面が凍っていたため砲弾が弾かれ、威力が半減していたことや、当時使われていた黒色火薬の威力の不足により、ロシア軍陣地を十分に叩くことができなかったことが原因であった。このため、満州軍総司令部は作戦変更を行い、ロシア軍右翼の側面に回り込むために迂回を続ける第三軍に対し、さらに大きく奉天を迂回・包囲してロシア軍退路を遮断するとともに奉天を攻撃するよう命令した。
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一方、ロシア軍の総司令官クロパトキン大将は旅順を陥落させた乃木の第三軍を過大評価しており[2]、当初ロシア軍左翼を攻撃した鴨緑江軍を第三軍と勘違いして[3]、これに対して大量の予備軍を派遣した。ところが、本当の第三軍がロシア軍右翼を包囲するように動き出したと知って、ロシア軍左翼(鴨緑江軍正面)の応援に送ったこの予備軍をまたさらに右翼(乃木第三軍正面)へ転進させるという命令の変更を行った。このため、乃木軍はロシア軍の正面を受け持ちつつ奉天へ前進するという苦しい状況になり、連日のロシア軍の猛攻の前に崩壊寸前になっていた。
この時もし第三軍が奉天後方に回り込んで哈爾浜=奉天間の鉄道遮断に成功すれば、ロシア軍に対する物理的・精神的打撃は決定的であった可能性がある。また、クロパトキンは3万8千人ほどの第三軍を約10万人と過大に見積もっていたが、この誤断が生じたのは増援を重ねた10万のロシア軍に対して、乃木の第三軍が対等以上に戦ったからであるとされる。