2009年06月20日

タンパク質溶解度と立体構造

一般に可溶性タンパク質(水に対して親和性の高いタンパク質)は球状構造を取っており、外部には親水性の残基、内部には疎水性の残基が強固に凝集している。また、サブユニット間相互作用においても結合部位は疎水性の残基が集まっている。可溶性タンパクはコンフォメーションの決定が比較的容易であり、数多くの結晶構造が明らかになっている。

また、不溶性タンパク(膜タンパク質が多い)は、生体膜に配置(貫通型、埋没型、付着型など)しているため膜内部に存在している部分は疎水性残基が外側を向いている。膜貫通型の構造はαヘリックスやβシートで構成される。ポーリンタンパク質のような小孔が空いているようなタンパク質では、穴が大きい場合はβシート、あるいは四次構造により穴が開いており、プロトンのような小分子を通す場合はαヘリックスで構成された小孔を用いている。膜タンパク質はコンフォメーションの理解がいまだ少なく、構造の決定されたものは10に満たない。


コンフォメーション変化とフォールディング [編集]
タンパク質のコンフォメーションは構造生物学的分野の発展とともに理解が深まってきたが、これはコンピュータの発展によるところが大きいといえる。また、タンパク質は結晶構造のような静的なものではなく、ダイナミックに立体構造を変化させていると言うモデルが明らかになってきており、従来のタンパク質像に新しい知見を与えている。特に機能分子である酵素などはその反応にコンフォメーションの変化が深く関わっていると言われている。

また、タンパク質がリボソームで生産されると同時に立体構造を取り始めるが、その折りたたみ過程(フォールディング)は非常に素早く(エネルギー的に低い準位に移るだけなので)いまだよく理解されていない。コンピューター上で仮想のペプチドをフォールディングさせるシミュレーションが行われているが、現実にそうしたペプチドを作成すると再現できない場合が多い。また、カメレオンペプチドというαヘリックス、βシートどちらでも構成することのできるアミノ酸配列も見つかっているが、なぜそのような現象が起きるかということについても理解が深まっているとはいえない。

こういったフォールディングは、タンパク質の配列によって自発的かつ一義的に折りたたまれると考えられてきた。しかし、生体内ではシャペロンと呼ばれる一群のタンパク質が正しいコンフォメーションをとるようにフォールディングを助けていることが解ってきた。このシャペロンは古細菌から哺乳類まできわめて良く保存されており、生体にとって必須の作用を持つと考えられるようになった。

核酸 [編集]
DNAについては二重らせん構造、クロマチン構造、染色体を参照。なお、DNAの高次構造は複製、転写、トポロジーなどにきわめて重要であると言われている。

リボ核酸(ribonucleic acid, RNA) [編集]
RNAは特定のウイルスのものをのぞけば全て一本鎖であり、タンパク質のように一本鎖上のA-U、G-C結合が特定のコンフォメーションを作ることがよく知られている。

中でももっとも有名なのが、tRNAの二次構造および三次構造である。RNAの配列は少しずつ異なっているがtRNAのとる二次構造は『クローバー葉構造』と呼ばれており、三つのループとステムからなる構造を取る。

DHUステム、ループ
TΨCステム、ループ
アンチコドンステム、ループ
オプショナルアーム(存在しないtRNAもある)
アクセプターアーム
更に、ステム部分の二重らせん構造により、RNAは更に折りたたまれて三次構造を取る。tRNAの三次構造は『L字構造』と呼ばれており、翻訳の際にはこの形状が不可欠だと考えられている。
頭痛
オーパーツ
社交ダンス
惑星
ラフティング
爬虫類
キャンプ
流鏑馬
犬ぞり
華道
日本の建築
家電の昔
江戸の歴史
湯・茨城
湯・山口
安土桃山時代
湯・長崎
裁判所について
アリさんの一日
カラオケ・ばんばん

また、リボソームに含まれる小サブユニットおよび大サブユニットrRNAも、タンパク質相互作用もあいまって特定のコンフォメーションを取っていると言われている。極めて複雑な構造を取っていることがわかっているが、リボソームの翻訳過程にrRNAの活性が必要であり、不可欠な構造である。

リボザイム [編集]
RNAに触媒作用がある事を発見したトーマス・チェックは、テトラヒメナの自己スプライシングを起こすrRNAの二次構造および三次構造を解析したことで有名である。リボザイムの触媒作用にもRNAコンフォメーションが深く関係していると考えられている。

脂質 [編集]
脂質については低分子のものが多くコンフォメーションは容易に決定できる。しかしながら、膜脂質全体の構造となると流動性や親水基の多様さもあいまって、多分子系の実験にならざるを得ない。また、膜の流動性を発揮するためには疎水基のコンフォメーションが重要であると考えられている(脂質二重層を参照)。

多糖 [編集]
糖はその種類が多く、タンパク質や核酸のように一本鎖の構造を持たず、分枝しているケースが多い。また、概して膜脂質やタンパク質に結合しており、そのため構造解析の最も難しい生体分子の一つと言われている。いまだ一次構造を理解するための基本的な配列決定法すら確立されていない状況である。

しかしながら、細胞接着や物質輸送に必要な細胞の標識は多糖(糖鎖)が特に重要であると言われており、特異性の高い薬剤の開発には、こうした細胞標識のコンフォメーションを理解することがきわめて重要であると考えられている。

2009年06月02日

包囲作戦開始(3月1日~5日)

主導権を握ったと判断した日本軍は、3月1日を期して奉天に対する包囲攻撃を開始した。作戦当初、日本軍は陽動として最左翼の乃木希典の第三軍・秋山支隊によってロシア軍右翼を攻撃させ、鴨緑江軍(ロシア軍左翼を攻撃中)と連動させることによってロシア軍の両翼を圧迫し、その両翼に援軍を出して手薄になるはずの正面に対して、大規模な攻勢を展開する意図を持っていた。ところが両翼で第三軍・鴨緑江軍が戦況を進展させている状況になり、奉天正面で激しい攻撃を行ったにもかかわらず、進展が見られないばかりかロシア軍に撃退されてしまう状況が続いていた。これは、カノン砲や28サンチ榴弾砲[1]による準備砲撃が、満州の厳寒によって地面が凍っていたため砲弾が弾かれ、威力が半減していたことや、当時使われていた黒色火薬の威力の不足により、ロシア軍陣地を十分に叩くことができなかったことが原因であった。このため、満州軍総司令部は作戦変更を行い、ロシア軍右翼の側面に回り込むために迂回を続ける第三軍に対し、さらに大きく奉天を迂回・包囲してロシア軍退路を遮断するとともに奉天を攻撃するよう命令した。
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一方、ロシア軍の総司令官クロパトキン大将は旅順を陥落させた乃木の第三軍を過大評価しており[2]、当初ロシア軍左翼を攻撃した鴨緑江軍を第三軍と勘違いして[3]、これに対して大量の予備軍を派遣した。ところが、本当の第三軍がロシア軍右翼を包囲するように動き出したと知って、ロシア軍左翼(鴨緑江軍正面)の応援に送ったこの予備軍をまたさらに右翼(乃木第三軍正面)へ転進させるという命令の変更を行った。このため、乃木軍はロシア軍の正面を受け持ちつつ奉天へ前進するという苦しい状況になり、連日のロシア軍の猛攻の前に崩壊寸前になっていた。

この時もし第三軍が奉天後方に回り込んで哈爾浜=奉天間の鉄道遮断に成功すれば、ロシア軍に対する物理的・精神的打撃は決定的であった可能性がある。また、クロパトキンは3万8千人ほどの第三軍を約10万人と過大に見積もっていたが、この誤断が生じたのは増援を重ねた10万のロシア軍に対して、乃木の第三軍が対等以上に戦ったからであるとされる。

2009年04月30日

黒水靺鞨との関係

渤海建国当初は黒水靺鞨諸部は独立した勢力を有しており、また唐との対立と、周辺諸部に対する支配強化を推し進める渤海は黒水靺鞨に対し懐柔策を採用した。当初は突厥の支配を受けていた黒水靺鞨であるが、次第に突厥の支配を脱し唐へ帰属する路線への転換を図った。722年に首長の倪属利稽が朝見し、勃利州刺史に冊封され黒水府を設置するに至ると、唐と黒水靺鞨による渤海挟撃を伊具した大武芸は黒水靺鞨に出兵している。

大欽茂が即位すると唐との大幅な関係改善が見られ、必然的に黒水靺鞨との緊張状態の緩和を見るに至った。大仁秀の時代になると、渤海により海北諸部の討伐が行われ、黒水靺鞨は渤海に服属し、独自に唐に朝見を行うことはなくなったが、渤海の統治に対する反乱が発生し、黒水靺鞨中心部に渤海の行政機構を設置し、直接統治を行う事は最後まで実現しなかった。

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渤海末期の9世紀になると、黒水靺鞨は新羅との連盟を模索するなど自立の道を探るようになり、また渤海の衰退により黒水靺鞨に対する統治が弱体化したことで、最終的には渤海の従属的地位を脱し、924年には後唐に使節を送るようになった。
渤海と日本の関係は当初は新羅を牽制するための軍事的性格が強かった。唐から独立した政権を確立した渤海であるが、大武芸の時代には唐と対立していた。その当時の周辺情勢は黒水部は唐と極めて親密な関係にあり、新羅もまた唐に急速に接近しており渤海は国際的な孤立を深めていた。この状況下、大武芸は新羅と対立していた日本の存在に注目した。727年、渤海は高仁義らを日本に派遣し日本との通好を企画する。この初めての渤海使は、日本に到着した時、当時の日本で蝦夷と呼ばれていた人々によって殺害され、生き残った高斉徳他8名が、翌年聖武天皇に拝謁した。この年引田虫麻呂を送渤海客使として派遣するなど軍事同盟的な交流が形成された。しかし渤海と唐の関係改善が実現すると、日本との関係は軍事的な性格から文化交流的、商業的な性格を帯びるようになり、その交流は926年渤海滅亡時までの200年間継続した。

2009年04月15日

鮮卑(せんぴ)

鮮卑(せんぴ、ピン音:Xiānbēi 紀元前1世紀? - 6世紀)は中国北部に存在していた遊牧騎馬民族。魏晋南北朝時代には南下して中国に北魏などの国を建てた。

鮮卑は東胡から出た民族で、言語学的にはモンゴル語系統という定説が根強いが、同時にテュルク系とツングース系との混血とする説もかなり有力である。紀元前には大興安嶺山脈の麓で牧畜、狩猟を生業としており、匈奴に服属していた。その後、匈奴が北と南に分裂すると前漢にも繋がる部族が出始め、半独立状態になった。

1世紀になり北匈奴が後漢との抗争を続ける間に力を蓄え、北匈奴をモンゴル高原から西に追いやった。2世紀半ばに檀石槐が登場すると族の統合に成功し、強大となった。しかし檀石槐の死後は再び分裂した。

後漢が滅び、西晋の皇族の中で八王の乱が起きると鮮卑族は傭兵として雇われ、徐々に中国内部に移住するようになった。

五胡十六国時代に入り、匈奴の劉淵が西晋から独立して前趙を建てると、鮮卑族もこれに倣い、中国に国を建てた。

この頃の鮮卑は六つの部族(氏族)がそれぞれ有力となっていた。(括弧の中はそれぞれが建てた国)

慕容部 (前燕、後燕、西燕、南燕)
段部
宇文部 (北周)
乞伏部 (西秦)
禿髪部 (南涼)
拓跋部 (代、北魏)
この他、慕容部から分かれて西遷した吐谷渾も鮮卑系だが、現地の羌人と融合しているとされる。

拓跋部の北魏は439年に華北を統一し、これ以降は南北朝時代となる。その後隋の楊堅により中国が統一されるが、楊堅は宇文部が立てた北周の外戚であり、自身も鮮卑の出身である可能性がある。同じく北周の貴族であった唐の李淵もまた鮮卑出身である可能性が考えられる。北斉の高歓については、漢化した鮮卑系の可能性が高いとされるが、鮮卑化した漢人という説もある。なお、北周の宇文部は鮮卑化した匈奴の一派と考えられ、テュルクの影響が濃く見られるという。

隋統一後の鮮卑族は漢民族に同化して行き、民族としてのまとまった動きは見せなくなった。また、金の代表格の詩人で官僚でもあった元好問は北魏の皇族の末裔だといわれる。

歴史 [編集]

檀石槐登場前 [編集]
漢代の初め、匈奴の冒頓単于が東胡を滅ぼした際、その生き残りが烏丸山と鮮卑山に逃れ、それぞれが烏丸と鮮卑になった。鮮卑はしばらく匈奴のもとにいたが、匈奴が南北に分かれその力が衰えてくると、勢力を盛り返すようになった。

建武30年(54年)、鮮卑の大人(だいじん 酋長)の於仇賁(おきゅうほん)は部族民をひきつれて都洛陽にのぼって朝貢をし、光武帝から王に封じられる。

永平年間に、祭肜(さいゆう)が遼東太守となると、鮮卑に誘いをかけ賂を送って、漢の命令に従わない烏丸の欽志賁(きんしほん)らの首を取らせた。

和帝の時代、鮮卑の大都護の校尉廆(かい)は、部族民を率いて護烏丸校尉の任尚(じんしょう)に従い、反抗者たちを討伐した。その功により、朝廷は校尉廆を率衆王に封じた。

殤帝の延平の年(106年)、鮮卑は東への移動をはじめ、長城の中に入って漁陽太守の張顕を殺した。

安帝の時代、鮮卑の大人の燕茘陽(えんれいよう)が入朝した。朝廷は彼に鮮卑王の印綬を授けた。これ以後、鮮卑は、あるときは反抗し、あるときは降伏し、あるときは匈奴や烏丸と争った。

安帝の末年、国境地帯から歩兵と騎兵二万余りを徴用して、要害の地に駐屯配備させた。のちに鮮卑の八、九千の騎馬兵は代郡と馬城の砦を破って侵入し、郡県のおもだった役人たちを殺害した。朝廷は度遼将軍の鄧遵(とうじゅん)を派遣して、長城を出て追撃させ、これを打ち破った。鮮卑の大人烏倫(うりん)、其至鞬(きしけん)ら七千余人が鄧遵のもとに降伏を申し入れてきた。そこで朝廷は烏倫を王に封じ、其至鞬には侯の位を与えた。鄧遵が去ったあと、其至鞬はまたもや叛き、護烏丸校尉を馬城に包囲した。度遼将軍の耿夔(こうき)と幽州刺史とが救援におもむき、包囲を崩した。其至鞬はこれ以後ますますその勢力を盛んにし、長城の内部に侵入して、五原郡の曼柏(まんはく)に向かい、匈奴の南単于に攻撃をかけ、左奥鞬日逐王(さおうけんじつちくおう)を殺した。

順帝の時代、ふたたび長城の内部に侵入し、代郡の太守を殺した。朝廷は長城付近に軍を駐屯させ、南単于も一万余人を率い、漢の軍を援助して鮮卑に攻撃をくわえ、これをしりぞけた。こののち、護烏丸校尉の耿曄(こうよう)は、烏丸大人で都尉の戎末廆(じゅうまつかい)を率いて長城を出ると鮮卑に攻撃をくわえ、鮮卑の中の首領格の者たちを多く斬った。その結果、鮮卑の三万余落は、遼東郡の役所に降服を申し入れてきた。

檀石槐の登場 [編集]
桓帝の時代、投鹿侯(とうろくこう)の子、檀石槐が大人の位につくと、高柳の北、三百余里の弾汗山(だんおさん)、啜仇水(せつきゅうすい)のほとりにその本拠を置いた。東や西の部族の大人たちはみな彼のもとに帰服してきた。その兵馬は勢い盛んで、南は漢の国境地帯で略奪を働き、北では丁令の南下を阻み、東では夫余を撃退させ、西では烏孫に攻撃をかけた。かつての匈奴の版図をまるまるわがものとし、東西は一万二千余里、南北は七千余里にわたって、広大な地域をすっぽり手中に収めた。漢の朝廷はこれを患え、匈奴中郎将の張奐を送って討伐させたが、勝つことができなかった。そこで今度は使者を送り印綬を授けて、檀石槐を王の位に封じ、和親を通じようとした。檀石槐は拒絶して受け取らず、侵入略奪はますます激しくなった。

こうして勢力を拡大した檀石槐は、自らの領有する土地を東・中・西の三部に分けた。右北平から東方は遼東の夫余や濊貊(わいはく)と接するあたりまでを東部とした。そこには二十余の邑があり、その地の大人は、弥加(びか)・闕機(けつき)・素利(そり)・槐頭(かいとう)と呼ばれる者たちであった。右北平から西方の上谷ににいたるまでを中部とした。そこには十余の邑があり、その地の大人は、柯最(かさい)・闕居(けつきょ)・慕容(ぼよう)などと呼ばれる者たちで、彼らは大帥(たいすい 総指揮官)でもあった。上谷から西方の敦煌まで、西方の烏孫と接する所までを西部とした。そこには二十余の邑があり、その地の大人は、置鞬落羅(ちけんらくら)・日律推演(じつりつすいえん)・宴茘游(えんれいゆう)などと呼ばれる者たちで、彼らは大帥であり、みな檀石槐の支配を受けていた。

霊帝の時代になると、彼らは幽州、幷州の二州で盛んに略奪をおこない、国境地帯の諸郡は、鮮卑からひどい損害を受けない年はなかった。

熹平六年(177年)、護烏丸校尉の夏育(かいく)、破鮮卑中郎将の田晏(でんあん)、匈奴中郎将の臧旻(そうびん)を派遣し、南単于の軍とともに雁門塞から長城の外に出ると、三つに分かれて並行して進み、二千余里を突っ切って遠征を行った。檀石槐は配下の部族を指揮して、これを迎え撃った、臧旻らは敗走して、無事に帰還できた兵馬は十分の一にすぎなかった。このころ、鮮卑の人口が増え農耕牧畜・狩猟だけでは、食糧を十分に供給することができなくなり、川魚を獲って食料とした。

檀石槐の死後 [編集]
檀石槐が45歳で死ぬと、息子の和連が代わって立った。和連には父親ほどの素質や能力もなく、しかも貪欲淫乱で、裁きが不公平だったため、部下の半数はその命令を聞かなくなった。霊帝の末年、しばしば侵略を行い、北地郡を攻めたが、北地の庶民で弩に巧みな者がおり、和連はそこで射殺された。和連の子の鶱曼は幼かったので、兄の子の魁頭が代わって立った。魁頭が立ってしばらくして、鶱曼が成長すると、両者は国を争い、部下は離反してしまった。魁頭が死ぬと、弟の歩度根が代わって立った。檀石槐の死後は大人たちの位はみな世襲されることになったのである。

鮮卑は、歩度根が指導者になってから、その部族の勢いがやや衰え、彼の次兄に当たる扶羅韓がまた別に数万の衆を擁して大人となった。建安年間に、曹操が幽州を平定すると、歩度根は軻比能らとともに護烏丸校尉の閻柔(えんじゅう)を通じて、朝廷に献上物を送った。のちに代郡の烏丸の能臣氐(のうしんてい)らは、漢の支配に叛き、扶羅韓に、その配下に入りたいと通知した。扶羅韓は一万余騎を従えて迎えに出た。桑乾まで来たとき、能臣氐らは話し合い、扶羅韓の配下は彼の命令に十分に服してないから、けっきょくはそこに身を落ち着けることはできないだろうということで、別に使者を送り、軻比能に連絡を取った。軻比能はすぐさま一万余騎を率いてやってくると、ともども会盟を行うことになった。軻比能はその会盟の席上で扶羅韓を殺し、扶羅韓の子の泄帰泥とその配下の者はすべて軻比能の指揮下に入った。軻比能は自分が泄帰泥の父親を殺していることから、泄帰泥には特別に目をかけた。歩度根は、こうしたことから軻比能を仇敵とみなすようになった。

文帝が即位すると、田予が護烏丸校尉に任ぜられ、持節の権限を持ち、護鮮卑校尉も兼ねて、昌平に駐屯した。歩度根は使者を送って馬を献上し、帝は歩度根に王の位を授けた。のちしばしば軻比能と戦闘を交えたが、歩度根の配下はだんだんと減り弱体となったため、その配下の一万余戸をひきいて太原郡と雁門郡とに入って安全を計った。歩度根はそのあと使者を送り、泄帰泥に誘いをかけ、泄帰泥はその部族民たちを引き連れて逃亡し、歩度根のもとに身を置いた。

黄初五年(224年)になって、歩度根は朝廷に参内し献上物をささげ、手厚い賜り物を授かった。これ以後はひたすら辺境の守りに努めて、侵入略奪を行うことはなかった。一方、軻比能の部族はますます勢力を強めた。明帝が即位すると、異民族との関係をつとめて平和にして軍事行動をなくそうとし、二つの部族を名目的に魏の支配下につなぎとめておくだけにとどまった。

青龍元年(233年)になって、軻比能のほうから誘いかけて歩度根と堅固な和親関係を結んだ。このようにして歩度根は泄帰泥と部族民全部をひきいて軻比能の配下に身を寄せると、幷州を犯して略奪をはたらき、役人や民衆を殺害し俘虜として連れ去った。帝は驍騎将軍の秦朗を征伐に向かわせた。泄帰泥は軻比能に叛いて、その部族民を率いて朝廷に降服すると、帰義王の位を授かり、もとどおり幷州に居住することを許された。歩度根は軻比能に殺された。

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2009年03月31日

鬼面山谷五郎

鬼面山 谷五郎(きめんざん たにごろう、文政9年(1826年、文政8年説、文政12年説も)? - 明治4年7月23日(1871年9月7日))は、江戸後期から明治初期にかけての相撲力士。第13代横綱。明治になって初めての横綱である。身長186cm、体重140kgと伝わる。
ミクロ ノミネー トップ ミゼラブ パビリ フルセッセ 南瓜 シナプス ブーツ ドミニ しんちょ じょうへん ビデア ころどこ ノーシード ククル シューズ ピリミジン レーシズム オーバ モチノキ ジョーンズ ティマイオ サファリジ ウイグル ストリ サーチ バーボ ダイパーズ 勿忘草 サイドス るじゅつ テキサス デビル ゴジラ しいたけ リスト きびざけ にしき パンハ ミラクル ジオラマ オートマト テディー ヒメウ シャツラ サニー ルーム フランベ 湾岸

美濃国多芸郡(現・岐阜県養老郡養老町)出身。本名は田中新一(明治以降)。石屋に奉公していたときに見出され、嘉永5年(1852年)閏2月初土俵。安政4年(1857年)正月場所新入幕。徳島藩抱え力士として、陣幕久五郎、大鳴門灘右衛門、虹ヶ嶽杣右衛門とともに阿波の四天王と称された。しかし、その後同僚の陣幕が松江藩、さらに薩摩藩へと鞍替えしたため、慶応3年(1867年)4月場所7日目の鬼面山・陣幕の取組は遺恨試合の様相を呈した(詳しくは陣幕久五郎を参照)。慶応元年(1865年)11月場所3日目には当時前頭の両国梶之助との取組で仕切り直しがずっと続き大体二時間くらいしてから痛み分けという事になった(後に「仕切り帰し」と呼ばれる事になる一番)。明治2年(1869年)2月吉田司家より横綱免許。横綱免許時は43歳で、これは歴代横綱で最も高齢である。明治3年(1870年)11月場所限りで引退。幕内成績は27場所143勝24敗16分8預63休、勝率.856。優勝相当成績7回。引退後1年もたたずに没した。享年46。養老町鷲巣に生誕地の碑、埼玉県狭山市の徳林寺に墓所(子孫は武隈家を称する)がある。

温厚な人柄として知られ、その風貌には古武士の風格を漂わせていたと伝わる。「負けるのが怖くて仕掛けないのは相撲の常道ではない」というのが信条であったため、ときに取りこぼしをすることもあったが、「勝負は時の運」として意に介さなかったという。女性を近づけず酒は呑まず、稽古上がりにアサリを二百文買ってはちゃんこをするのが何よりの楽しみだったという。

2009年03月16日

宗像大社

宗像大社(むなかたたいしゃ)は、福岡県宗像市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社(かんぺいたいしゃ)。 日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、または宗像三女神を祀る神社の総本社である。

「宗像大社」は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称であるが、現在では辺津宮のみを指す場合も多い。3社にそれぞれ以下の神を祀り、宗像三女神(宗像三神)と総称する。

沖津宮(おきつみや) : 田心姫神
中津宮(なかつみや) : 湍津姫神
辺津宮(へつみや) : 市杵島姫神
地図上で辺津宮・中津宮・沖津宮を線で結ぶと、その直線は朝鮮半島の方向に向かう。古代から半島と大陸の政治、経済、文化の海上路であった。

古くから海上・交通安全の神として信仰されているが、現在では海上に限らず、陸上・交通安全の神としても信仰を集めている。その為、福岡県内では宗像大社のステッカーを貼った自動車が多数見受けられるほか、新車を購入した際に御祓いを受ける人も非常に多い。

海上交通の要所に位置する沖ノ島に祀られている沖津宮は、現在、緊急避難港に指定されているが、島全体が御神体である。そのため現在でも女人禁制であり、男性であっても上陸前には禊を行なわなければならない。昭和29年以来十数年に渡り沖の島の発掘調査が行われ、4・5世紀から9世紀までの石舞台や古代装飾品などの大量の祭祀遺物が発見された。このことから、沖の島は俗に「海の正倉院」と呼ばれている。古代から信仰の対象とされていたことが偲ばれる。また、中国・朝鮮の歴代王朝との交易で栄えていた。九州を中心に沖ノ島の世界遺産化運動が起こっている。

伝承及び歴史 [編集]
伝えられる伝承では日本神話の話に起源を持つという。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神の息から生まれたのが宗像3女神ということになっていて、彼女達は天照の勅命を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降りこの地を治めるようになったのが起源とされている。

古くから海の神として信仰を集めてきたが、神功皇后が三韓征伐の際ここに航海の安全を祈り霊験があったといわれ、事あるごとに国に幣使を遣わす習いになったとされる。またこのエピソードからは航海安全の守護神として崇められるようになった経緯がうかがえる。

大化の改新(645年)によって国郡の制が敷かれると、宗像1群が神領として与えられ、豪族宗像氏が神主として神社に奉仕し、神郡の行政も司ることになった。

鎌倉期以降は武家の信奉もあり小早川隆景、筑前黒田氏などによる社殿の造修営、社領の寄進が伝えられている。

神事・祭事 [編集]
秋季大祭 - 毎年10月1~3日。1~3日の辺津宮本殿での催しに先立って中津宮・沖津宮で神迎えの神事があり、漁船群の立てる色とりどりの旗や幟で海上神幸を行う。本殿では翁舞、風俗舞、流鏑馬、奉納相撲などが披露される。起源は平安時代にまで遡るといい、「放生会」と呼ぶこともある。
七夕祭 - 毎年旧暦7月7日夕刻時、筑前大島の中津宮末社で行われる。牽牛社・織女社というのがあり、その前に短冊を付けた竹笹を立てて技芸の上達を祈る。水に映る姿を見て男女の因縁を占う神事や、七夕揮毫大会も開かれる。
イタ飯 タップ ナビトーチ レザー ひなづる メンド オラト 若き獅子 スイセン お山 シャシー フェタミン ブルージー ハリファ シンガ マニュ チリ バカンス スタバ ピアプ プラス シュード チェス シャトル ブレン プライス ビング 風神雷神 パライパ リンプ フォッ サラバード トシン バンド チロル もうげつ ラザニ ルサロ もみがら プルーフ アップ セクター ハーベ ローション インター ザクロ ブロカ ジェラー モルダビア ファー

文化財 [編集]
国宝
福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品 一括
玄界灘に浮かぶ絶海の孤島・沖ノ島の20数箇所の祭祀遺跡から発掘された一括遺物。1954年から1971年に至る第1次~第3次の発掘調査で出土したもので、時代的には古墳時代から平安時代(4世紀~10世紀)にわたる。中国・朝鮮半島製品を含む、各種の銅鏡、金銅(銅に金メッキ)製の馬具類のほか、土師器、三彩陶器、滑石製品、玉類、刀剣類などが出土品の主なものである。出土品中にはペルシャ・サーサーン朝製と見られるガラス椀の破片などもある。考古学、美術史、宗教史、古代史など、さまざまな分野の研究に資するところの多い、学術的にきわめて貴重な資料である。3次にわたる発掘調査の結果は『沖ノ島』『続沖ノ島』『宗像沖ノ島』という報告書の形で刊行されている。これら出土品は宗像大社の神宝館で公開されている。1962年に第1次・第2次発掘調査出土品が国宝に指定され、2003年には第3次発掘調査出土品が追加指定されている。
重要文化財
宗像神社辺津宮拝殿
宗像神社辺津宮本殿
木造狛犬一対
石造狛犬一対
藍韋威肩白胴丸(あいかわおどしかたじろどうまる)-「胴丸」は鎧の一種。
経石(正面阿弥陀如来像・背面阿弥陀経)
宗像神社文書 12巻 附:宗像神社記録5巻、1冊、宗像社家文書惣目録 1冊
色定法師一筆一切経 4342巻(宗像市田島 興聖寺所有、宗像大社管理)
滑石製経筒 仁平4年銘(宗像市稲元区所有、宗像大社管理)
福岡県指定有形文化財
宗像神社中津宮本殿
史跡
宗像神社境内

その他 [編集]
日本海海戦で活躍した戦艦三笠の羅針儀、明応8(1499年)鐘岬沖で浮上した翁面

名物 [編集]
宗像大社せんべい
幸福餅

2009年03月01日

ハトル人最後の生き残りで

ハトル人
テングリ・レトス
 「光の守護者」とよばれ、平和を愛する。ハトル人最後の生き残りで、直径30kmの「永遠の船」と呼ばれる球形艦を保有する。2400年代のテラナーや島の王たちをはるかに超える技術力をもつ。

ハルト人
イホ・トロト
 ハルト人科学者。2400年8月15日にはじめて人類の前に姿を現し、銀河中枢部の恒星六角形の存在を示してローダンとともにアンドロメダ星雲をめざして以来、ローダンの友となった。普段は友好のあかしとして、ローダノス、トロトスと呼び合う。単性生物のハルト人は母性本能が強く、トロトのそれはテラナーに向けられているため、場合によっては種族の法を犯してもローダンを援助した。身長3.5メートル、体重2トンの巨人で四本腕、有柄の複眼3つ、短い2本の脚、ふたつの脳を持ち、強靭な肉体は細胞転換、あるいは構造転換能力をもちえれば真空中や高放射線下でも一定時間は行動できる。第100巻。
ファンカン・タイク
 ハルト人科学者。第100巻。

マークス
グレク1

ミュータント
トロナル・ウールヴァ
 2367年に、植民惑星イマルトで生まれた環境適応人間。パラスプリンター。ラカル・ウールヴァの双子の兄。USOのスペシャリスト。皮膚は緑色で、胸部が樽のように大きく膨らんでいる。第113巻。
ラカル・ウールヴァ
 2367年に、植民惑星イマルトで生まれた環境適応人間。パラスプリンター。トロナル・ウールヴァの双子の弟。USOのスペシャリスト。第113巻。

レムール人
タンワンダー
 過去界の暗黒街の実力者。現実時間に戻ろうとするローダンたちの手助けをした。第139巻。

ロボット
ラッキー・ログ

その他
モビー
ロール・タン

M87サイクル

アコン人
アブレブル

イルト
ジャンピー
 グッキーとイルツの間に生まれた息子。正式名はジャンピー・グック。テレパス・テレキネス・テレポーター。第151巻。

オケフェノケース
エインチ・チグロル
スカンロン・オカチェー
三つの思想家。

基地のエンジニア
アゲン・トルムブ
キボシュ・バイウォフ

時間警察

二次制約者(震動守護者)
アセル・キン
トロ・コン

にせグラド
ハカツ・シャレト

スコアル
スコアルト

テラナー
アイリーン・ダクラン
 〈クレストIV〉の宇宙心理学者。ロワ・ダントンと恋に落ちる。第173巻。
アモス・リーゲラー
 シガ星人でパラディン乗員。運動メカニクス担当。第175巻。
イリヤ・マルーメ
 太陽系艦隊将校。本国艦隊第22強化モスキート戦隊(22VMGH)指揮官。戦闘中に撃墜され、トリトンに不時着。モカルト父子に助けられ、彼らとともにオールド・マンを奪回した。第166巻。
エムス・カストリ
 第82混成安定化部隊(82GSV)を率いる太陽系艦隊提督。ちょっとした微笑で人を動かすすべを心得ていることから、”陽気さん”と呼ばれる。第156巻。
オロ・マスト
 エルトルス人。自由商人で、ロワ・ダントンの親衛長を務める。第150巻。
カマロン・オレク
 艦隊屈指の宙航士。時間警官に誘拐され、ドランの航法担当執行者になったが、のちに生還。第161巻。
カントール・チアリーニ
 太陽系帝国の異銀河外交政策担当大臣。第187巻。
グウィドリン・グリチャート
 センプロン星系の執政官。ローダンの政敵で、アコン人の走狗。第165巻。
クロノト・モカルト
 オクストーン人。ペリシュ・モカルトの父で歴史学者。息子とともに二次制約者アセル・キンを捕虜にし、イリヤ・マルーメと3人でオールド・マンを奪回した。古レムール史の専門家。第166巻。
クール・アラカン
 シガ星人でパラディン乗員。サイバネティクス担当。
コン・バイト
 USO艦隊提督のエプサル人。〈クレストIV〉艦長メルリン・アクランに、旗艦艦長公募に応募していれば自分の代わりに旗艦艦長になっていたかもしれないと言わしめる有能な宙航士。
ジェフリー・アベル・ワリンジャー(Geoffry Abel Waringer)
 2403年テラ生まれのハイパー物理学者。ローダンとモリー・アブロの間に生まれた娘スーザンと2430年に結婚。科学研究惑星ラスト・ホープを拠点に研究活動を続け、やがて太陽系帝国主席科学評議員となる。2436年からは細胞活性装置保持者。ワリンジャー・チームと呼ばれる科学陣を率いて数々の技術開発や実用化を行い、35世紀にはカピンと大群による2度にわたる危機をも乗り越えた。ワリング・コンヴァーターなどを開発した。第167巻。
ジャン・ベリオ
 〈クレストIV〉主席物理学者。M-87で心理尋問にあい廃人となったが、その後惑星モノルの生物物理学的ハイパー再生を体験、全快した。軽度のくる病だったが、それも完治。ただし生殖能力は失われた。第168巻。
ジョシュア・リウムブエ
 民間船〈ミンハオ〉の科学実験責任者。違法な時間実験を行い、〈ミンハオ〉もろともM-87に拉致された。第173巻。
スーザン・ベティ・ローダン=ワリンジャー
 ペリー・ローダンとモリー・ローダン=アブロの娘。ワリンジャー博士と2430年に結婚。
ダート・ヒュロス
 シガ星人でパラディン乗員。サンダーボルトチーム最年少で、2436年で108歳。兵器担当。第175巻。
タル・サトール
 自由商人の貴族。ロワ・ダントンに同行して〈クレストIV〉に搭乗してM-87への放浪にも参加した。惑星オーロラ生まれの環境適応人で、半水棲人。スヌーピーというデテクターロボットをつれ歩く。第165巻。
チャイ・クールー
 〈クレストIV〉の第三搭載艇軽戦隊指令。アフロテラナーの巨漢。2436年、キボシュ・バイウォフに仕掛けられたバイオ兵器の旗艦への感染を防ぐため、搭載艇とともに恒星に突っ込んだ。第150巻。
ドロフ・レキテン
 シガ星人でパラディン乗員。計算・探知センター担当。第175巻。
ハイコ・アンラート
 ローダンの影武者。アコンのスパイに利用された後、殺された。第165巻。
ハール・デフィン
 2306年生まれ。シガ星人のUSOスペシャリスト。サンダーボルト・チームとチームの操作する巨大ロボット「パラディン」の司令。脳インパルスをメカニズムに直接送り込む感情エンジニア能力を持つ。第175巻。
ペリシュ・モカルト
 オクストーン人。元USOスペシャリスト。父クロノトとともにトリトンの古レムール遺跡を調査中、二次制約者との戦いに巻き込まれる。父とともに二次制約者アセル・キンを捕虜にし、イリヤ・マルーメと3人でオールド・マンを奪回した。USO時代に頭部を負傷・治療したせいで、本来オクストーン人にはない頭髪がある。第166巻。
ミルス・ティン
 シガ星人。パラディンの首席エンジニアで発電責任者。デッキ4担当。
ヴィヴィアー・ボンテイナー
 エクスプローラー船の船長を歴任。M-87から帰還して惑星”帰郷”にいたローダン一行を救出した。また太陽系のドラン襲撃のさい、ハルト人に救援要請をしにいった。第176巻。
ブルトザール・クロハラ
 エルトルス人の自由商人。〈フランシス・ドレーク〉の搭載艇の艇長。血液を血漿共生体ブラ・エキスに交換したパラプラント。第192巻。
ルールセル・ハビレット
 〈スケンダーラ〉艦長。パトロール中にバラモ船の残骸と遭遇し、残骸内で仮死状態だったウレブを発見、蘇生したウレブと死闘を演じた。第197巻。
ロスコー・ポインデクスター
〈クレストIV〉に勤務する士官候補生。
ロワ・ダントン
 ペリー・ローダンの息子。ローダンとモリー・アブロの間に2405年8月16日に生まれた。本名はマイクル・レジナルド・ローダン。偉大な父親に頼る事無く生きるために24歳の時に出奔し、自由商人に身を投じやがて実質的な指導者となり、自由商人の王と名乗る。2435年にローダンの前に姿を現して以来、M87銀河への大漂流や時間警察との戦いに身を投じ、時間警察との戦いの中で戦死したと思われたが、時空を投げ飛ばされて20万年前の土星の衛星タイタンに漂着していたところをローダン達に救出され、その後現在時間の3434年に帰還する。同年細胞活性装置を得る。現在時間に帰還後もローダンを補佐しつづける。自由商人の王を名乗っていたころは中世フランス王朝風の服に三角帽、サーベルといういでたちを好んでいた。第150巻。

ハルト人
ウッパー・キスカ
 ハルト人。第177巻。
ヒッソ・リロス
ピナル・アルト
 ハルト人。ハイパー物理学者。第177巻。
ワクソ・カナ
 3000歳を数えるハルト人の長老。第186巻。

ペレヴォン
チャプイ・キトス

カピンサイクル

アッカローリー
アクトロン・ムスポエルン

カピン

ガンヤス人
オヴァロン
 およそ200000年前に生まれた統治者〈ガンヨ〉。ゼロ時間デフォルメーターで過去界にやって来たローダンたちを捕らえるが、消していた任務の記憶を思い出して釈放し、テラナーとともに3434年の未来界に赴く。細胞活性装置保持者。第220巻。

テトマン=タリノ
ファルロ
ペルダ
モシャケン

ジュクラ人
ペントシポン=カラ八百九十六世

タケル人
タシュカル
ギンコラシュ
ヴァスカロ
フェナロル
 偽ガンヨ。
メルセ

ファルログ
アルヘガー

モリタトール
シェコヌ
ショルショヴォ
ラヴァシャ

テラナー
アラスカ・シェーデレーア
 3400年テラ生まれの新ミュータント部隊隊員。3428年に転送機で移動中のハイパー空間内でペドトランスファーするカピンと衝突し、顔に"カピンの断片”が融合したため、以来眉の上から唇の下までを覆うプラスチック製の仮面を装着するようになり、仮面の男あるいはマスクの男と呼ばれる。この事故でカピンを探知する能力を身に付けた。"カピンの断片”を見たものは発狂し、死に至るとされる。カピンの断片が活性化すると、仮面の隙間から虹色の放射が漏れる。ローダンの側近になる以前は論理学者として知られ、“ひとつの思考を最後までたどる速度で、右にでるものはいない”といわれていた。身長は2メートルの痩身であるが、信じられないほど強靭な耐久力を有する。
エシボン・ヘリヘット
エドモンド・V・ポントナク
エラス・コロム=カン
 旗艦〈マルコ・ポーロ〉艦長。
ガルブレイス・デイトン
 2869年生まれ。2909年の第二次遺伝子危機で初代長官アラン・D・マーカントが死亡した際、その任務を引き継いで太陽系秘密情報局長官となり同時に細胞活性装置を取得した。同年に太陽系元帥となる。太陽系帝国の第一感情エンジニアでもあり、人間の脳の振動インパルスから、その感情の起伏を読み取れる。容姿は長身で黒髪、彫りの深い顔。
シャルモン・キルテ・ダブリファ
 ダブリファ帝国の独裁者。細胞活性装置保持者。3434年の寛容革命で死亡。
ジョーク・カスカル
トロナル・カソム
 エルトルス人。メルバル・カソムの曾孫で、曽祖父と瓜二つ。カルスアル同盟→ダブリファ帝国→太陽系帝国、と3つの艦隊に勤める。
テルセル・フラスカーティ
 エルトルス人。カルスアル同盟の巨頭のひとり。細胞活性装置保持者。
ノス・ヴィゲランド
 エルトルス人。カルスアル同盟の巨頭のひとり。元USOスペシャリストで、第二次遺伝子危機の際に細胞活性装置を複数奪い逃走、それを手土産にカルスアル同盟に走った。細胞活性装置保持者。
メントロ・コスム
ルネメ・シルテル
 エルトルス人。カルスアル同盟の巨頭のひとり。細胞活性装置保持者。

ミュータント
タクヴォリアン
 カピンの遺伝子実験で生まれたケンタウルス。時間の流れを自在に速めたり遅らせたりするモヴェーター。
タッチャー・ア・ハイヌ
 aクラス火星人。インスピラントで、ダライモク・ロルヴィクの精神を安定させる。
ダライモク・ロルヴィク
 チベット人とサイノスとのハーフのマルチミュータント。アルビノで太め。
パトゥリ・ロコシャン
バルトン・ウィト
 自由商人。不時着した惑星でカピンの機械都市を発見し、3世紀を過ごす間に超能力を獲得する。
メルコシュ
 ガラス男。「悪しき声」で周囲の物体を破壊する。
リバルド・コレッロ
ニュー エイジ メダリスト スポラ ぽち袋 スモーカー ブックレ リピート ハナイカダ チェーン レーター トゥース フェンス 大蔵大根 ろくまい サンパウロ とわだ シロップ たかね トロライト ブッサ ブレー シュノ ゴツコーラ チューブ インソール シルク 黒かぼ 愛宕柿 モーター ローンチ ゲリララ ヒッコリ ピタ最適 リシック サーチ恋路 オクイ パーカ シンクロ パンチャー バリティー ミャン シート フラン アップ ハンマ ティッシモ デトロ 万寿国 ブルー

ロボット
アンソン・アーガイリス
 35世紀時点における自由商人の首長(皇帝)。30世紀には既にその座にあった。実体は有機意識を持つヴァリオ=500型ロボットであり、太陽系秘密情報局に属している。ロボット本体は卵型の基礎部と探知頭部、四肢制御部からなり、それらを内臓まで精巧に作られたバイオ・マスクの肉体がおおう。主任務はテラとオリンプを結ぶコンテナ転送システムの防衛・管理であるが、緊急時には自ら出撃する事もあり、アーガイリスを含め変装用マスクがオリンプ地下の秘密基地に48体用意されている。その意味ではヴァリオ=500は大規模保安システムの端末ともいう事ができる。アーガイリスの時の容姿は、身長2メートル、体重89キログラムの筋骨隆々たる巨漢で、肩までとどく髪は頭の真ん中で指2本分の幅の剃り跡で分けられている。
フローリーモンス

2009年02月10日

日本の文化

日本の文化 (にっぽんのぶんか、にほんのぶんか)

本項では日本の文化全般について、幅広く過去から現在への事象を取り上げ、概要の説明やリンクを示す。
ステンレス トマホーク バスク ダンプカー スポード プラーク スタミナ メード オーダー ケーブル 浮き桟 ミシガン マイカ トレビ レーン ベニトアイト リップ シェフ コムサット スプラ チオノ タイト サフー ナウシカ パラレル マッカー しらさぎ ミュージア カフェオ バート ベリー レガシー きくすい ジェジェ ダイオプ チャツ フレンチキ ソフト トラコーマ アンデス スエズ 五節の舞姫 ギョーザ ステミン イバル オード ラップ ローマ フェルミ ヘマタ

分類については、まだ発展・整理の途上であり、正式なものではない。日本発祥のもの以外でも、日本に深く根付いているものはこの記事に含まれる。

なお、日本の文化に関係する人物(文化人)は、原則として記述しない.

文化という言葉は、芸術や学問など人間が生み出した高い達成度を持つもの(ハイカルチャー)を指すとともに、人間の社会が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系を指す。後者の意味では衣、食、住などの日常生活全般に関わる慣習や、芸能、道徳、宗教から政治、経済といった社会構造まで、その範疇は非常に幅広い。日本の文化も単純にひとくくりにできるものではなく、様々な要素を含んでおり、古代から中世にいたっては中国を中心としたアジアの近隣諸国、そして明治以降の近~現代では欧米からの影響を受け、吸収・取捨選択を繰り返し、様々な手が加えられて独特な展開を遂げている。日本の伝統文化は、神道とその他の宗教を取り込みながら基軸とし、時代とともに変遷してきたが、表面的に大きく変化していても、その中に一貫する極めて日本的な要素や傾向を指摘できる面もある(例:住居が和風の座敷から洋間に変わっても、室内に靴を脱いで上がる点では変わらない)。

日本文化を特徴的に示す概念として、「和(わ)」という言葉がしばしば用いられる(例:和語、和文、和歌、和服、和食、和風旅館など)。「和」は古くから日本を示す言葉で、漢(中国)や洋(西欧)など外国からの事物に対比して使われる。また「大和(やまと)」という言葉が使われる場合もある(例:大和言葉、大和魂、大和撫子、大和絵など)。「大和」は本来、奈良地方を指すが、同時に日本全体を示す古い言葉でもある(この場合、古くは「倭」とも書いた)。古代からこの国において不変と考えられる事象を示して呼ぶことが多い。

宗教と文化史
日本には古くから「神道」というシャーマニズムやアニミズムといった自然崇拝、精霊崇拝である多神教(八百万の神)に基づく宗教文化がある。始まりは古神道や神籬にみられる磐座信仰という原始宗教に近いものであり、沖縄の信仰にその古来の形態を残し、アイヌ文化も同様である。沖縄のユタに代表される巫女文化は、古くは神道の本流であり、アイヌ文化にも顕著に見られ、巫女文化が、その後の女性主体の社会構造で日本独特ともいわれる「おかみさん文化」に繋がったともいわれる。また子宝・子作り信仰とも結びつき女性を「カミ(上)」とし、女主人を「おかみさん」妻を「かみさん」と畏敬を込めて、呼ぶようになった。ただし、神道は他国の多神教では見られない独自の特徴がある。たとえば、道具や言葉、吐息にまで命が宿るという考え方(具体的には、針供養、道具塚や言霊、息吹という表現などにみてとれる。針供養を行う寺は多いが、針を含めた道具に命が宿るとする考えは元々の仏教には、ないとされる)や、侵略してきた敵さえも祀るという考え方(例えば、蒙古塚)などである。中華文明圏では儒教から発展した朱子学という考え方も強くあり「敵は死者でも鞭を打て、恨みは石に刻め」などとするが、日本では「敵であっても死者には鞭を打たず、恨みは水に流す」と正反対である。

また遠くインドを起源とする「仏教・密教」(仏教と密教を別の宗教とする宗教学上の見解も多い)を大陸から受け入れて、独自の仏教・密教文化を定着させてきた。さまざまな伝統や慣習のうちには仏教を起源とするものも多く見られ、神道と相互に影響しあいながら日本の信仰を形作ってきた。他の東アジア諸国と同様に「儒教」(儒教は哲学や思想であるが宗教ではないとする見解もある)や「道教」も受容しているが、その影響は韓国や中国ほどではない。

儒教を直接受容したのは、主に武士や漢学をおさめた町人にとどまるものの、間接的な形で日本の庶民にも影響を及ぼしている。明治維新によって武家の学問としての朱子学は立場を失ったが、宮中の保守的な漢学者の影響によって儒教の忠孝思想が教育勅語などに取り入れられた。

道教は、そのものより陰陽五行や八卦などが奈良時代から平安時代に隆盛を極め、陰陽師の台頭と共に現在もその思想が風俗となって受け継がれているが、儒教と同様に日本独自のものに変化している。具体的な例としては、ちらし寿司の四色や五色の彩などが陰陽五行に基づいている。武道も神道が基軸となり、それに儒教や道教や禅宗などが加わって修練による開眼精神と哲学を持った芸になったといわれる。

ヒンドゥー教自体は日本に伝わってはいないが、仏教・密教に多大な影響を与えているので、日本の仏教や神道においてヒンドゥー教由来の神々が存在し文化的影響がある。このような宗教に基づく価値観は日本の風俗習慣、文化に深く根ざしており、祭礼、伝統芸能、武道、農業、林業、水産業、建築、土木、正月、七五三など、さまざまな場面に影響を及ぼしている。

日本は永らく神道と仏教とを神仏習合(神仏混淆)という形で共存・混合させてきたが、近代になって明治新政府によって再分離され、神道は国家神道とされて軍国主義と一体となり国家覇権の手段ともなった。国家神道の時代には神道は宗教的地位が曖昧であった(政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)として国民に敬神の義務を説いた)が、戦後の神社神道は政治と分離され、公式には宗教として今に至っている。

純粋な宗教的価値観の具現化でないとしても、古来からの神道が礎となってその上に仏教・密教や儒教や道教、あるいは「キリスト教」(古くはキリシタン文化)をも含め、さまざまな外来の宗教を混在させながら、今日ある日本の精神や文化の土壌は形成された。神道を主体とする宗教を抜きにして日本の文化や精神の本質は語れないという側面がある。現代世界が抱える諸問題において、このような日本的な宗教的価値観が有効とされる場合もあり、これを方法論としてみた場合、たとえば「里山文化(鎮守の森)」の考え方は環境保全に対し、「大豆文化(倹約、醸造は神事)」の伝統は食糧危機に対し、問題の解決を示唆する可能性もある。

伝統芸能や伝統のスポーツ、あるいは日常生活におけるお辞儀・礼儀作法・食事作法などにおいて、広範に見られる特徴として「型(形)」の尊重という点が挙げられ、日本の美点ともされてきた。これらには儒教道徳の影響や、人と衝突するのを避け和を尊ぶという心性から、無言の内に相手への敬意・配慮の念が込められていることも多い。近年では生活様式の欧米化により「エチケット」や「マナー」などに置き換えられ、これらの日本の伝統的な規範意識の形骸化を憂慮する声もある。

歴史
縄文中期の火焔土器、東京国立博物館蔵
東大寺の大仏
法隆寺金剛力士像
復元された帝国ホテル旧館の玄関部分
太陽の塔
[編集] 原始・古代
遺伝子分析などにより、日本人は朝鮮半島や樺太経由で北方から渡ってきた人々が中心になっていると考えられている。紀元前から大陸や南方から渡ってきた人々が文化をもたらすことはあったと考えられるが、話す言葉や生活などは日本固有の文化が育ってきた。

前漢の時代頃から中国の王朝に積極的に朝貢し初め、先進文化国だった中国の文物を受け入れるようになった。金属器(鏡、刀剣類など)や漢字、仏教などがその代表である。後には遣隋使、遣唐使が派遣され、留学生が先進文化を学び、日本に持ち帰ってきた。また朝鮮半島からの遣日本使を迎え入れ、逆に遣新羅使、遣渤海使を派遣するなど外交的・貿易的なつながりを持っていた。こうして日本固有の文化の上に外来の文化が取り入れられていった。

遣唐使の廃止(894年)後、外国からの影響が日本独自に消化されてゆき、「国風文化」時代を迎えた。貴族の女性の間で漢字からかな文字が生まれ、和歌や日記文学など文芸が盛んになった。芸術の分野でも、法隆寺や唐招提寺の建築には中国などの影響が強く見られたのに対して、宇治平等院では日本人好みの表現になっている。こうした文化様式を和様と呼ぶ。

該当する文化:旧石器文化、縄文文化、弥生文化、古墳文化、飛鳥文化、白鳳文化、天平文化、弘仁・貞観文化、国風文化

中世
古代末から中世に武士が台頭してくると、流鏑馬、犬追物など武士特有の文化が生まれ、合戦をテーマにした軍記物語(平家物語など)も生まれた。彫像も、力強い肉体を持った物へと代わっていった(金剛力士像等はその代表といえる)。都や農村では猿楽や田楽などの舞踊が発達した。平清盛の宋との貿易や、禅宗僧の往来、天竜寺船、勘合貿易など再び中国との交流も盛んになり、唐物が珍重された。室町時代は戦乱の世であったが、東山文化の時代を中心にして、猿楽(能)、茶の湯、書院(書院造)などが発展し、今日「日本的」といわれる文化の多くがこの時代につくられた。

該当する文化:鎌倉文化、室町文化(北山文化・東山文化)
近世
安土桃山時代にヨーロッパの新しい異文化がもたらされた(南蛮文化)。鉄砲が戦闘形式を一変させ、天下統一への道を開いたほか、外来語、天ぷらなど飲食物も伝えられた。イエズス会の宣教師がキリスト教の布教を進めたが、スペイン・ポルトガルの領土的野心(サン=フェリペ号事件ほか)が知られたため、宣教師は追放され、次いで禁教の施策が取られた。江戸幕府は最初外国との友好的な外交を目指したが、危機は拭えず、やがてキリシタン弾圧、そして鎖国の道を選ぶことになる。この時期には、宣教師及び朝鮮出兵で捕虜となった技術者が活版印刷の技術を伝え、刊行本が世に出回り始めた。

政権が安定し、鎖国により外国と隔絶された日本では、平和な時期が長く続き、再び独自の文化が発達した。寺子屋や藩校の普及により読み書き算盤が広く浸透し、幕府奨励の儒学のほかに本草学などの自然科学が育った。庶民の間では演劇(歌舞伎、人形浄瑠璃)や刊行物(浮世草子、読本、浮世絵など)が愛好され、世俗文化が栄えた(プロスポーツとしての相撲である大相撲が始まったのもこの頃)。また日本本来の伝統を捉え直そうという国学も興り、幕末の尊皇攘夷運動の思想的土壌を作った。

鎖国体制の中でも、制限された形で中国・朝鮮との交流は続いていた。西洋との交流は厳しく制限されたものの、長崎の出島を通じてオランダとの交易が行われた。長崎から入ってくる中国文化や西洋文化は知識人の好奇心を刺激し、洋学や蘭学(医学)、漢方医学が発達した。この流れは、幕末に帝国主義時代の欧米の接近に際して対応する力となり、開国の原動力のひとつになった。 桃山文化、寛永文化、元禄文化、天明文化、化政文化

近代
幕末の開国、明治維新を経て、欧米の文物・制度を取り入れ日本の近代化を図ることが国家目標になった。新奇な風俗が次々にもたらされ文明開化の風潮が広まった。政府主導で積極的な西洋文化の導入が図られ、鹿鳴館時代には皮相的に急激な西洋化が図られたが、日本の伝統を見直そうという反動の動きも起こった。「和魂洋才」という言葉もよく使われた。啓蒙的な思想家が封建的な思想や習慣を否定し、西洋の政治制度、文物を紹介し、新聞、雑誌などのメディアや鉄道など交通機関の発達は各地に新しい文化を広め、庶民生活に大きな影響を与えた。しかし、都市部から離れた地域(農村部)では依然として、農業を基盤とした伝統的な行事や生活習慣が続いていた。

大正時代頃には進学率の上昇などを背景に、都市を中心に洋風の文化が次第に浸透し、デパートに代表される消費文化、大衆文化が成立した。アメリカの大衆文化の影響もあって、都市にはカフェーや映画館などの享楽的な文化も広まり、エロ・グロ・ナンセンスが流行した。一方で貧富の格差も増大し、労働争議や社会主義運動が起こるようになる。都市のスラム化も社会問題となった。

昭和初年の大恐慌により経済は疲弊し、農村は荒廃した。国民の期待は軍部に集まり、弱腰であると非難されていた政治家は信頼を失った。やがて日中戦争が始まると、共産主義・社会主義への弾圧が強まり、自由主義も弾圧された。戦意高揚のために日本及び日本民族の優秀さが説かれた。国際的には英米などから批判を受けて、日独伊三国同盟を結んだ。世界から孤立した日本は真珠湾攻撃により太平洋戦争を開戦し、第二次世界大戦に参戦、国家総力戦のため食料や資源が統制された。

太平洋戦争末期には、連合国の海上封鎖と空襲、働き盛りの男性が徴兵されたことによる労働力不足のために、日本は深刻な食糧難と物資不足に見舞われることになる。戦争遂行のため大衆文化や伝統文化も政府に統制された。

近代文化: 文明開化、明治文化、大正文化、昭和文化

現代
ポツダム宣言を受け入れて降伏し、アメリカ合衆国が主体とする連合国軍に占領されると、特権階級、武装及び軍国主義の排除・解体・追放と産業・経済の民主化が進められた。旧植民地からの引き上げや戦地からの復員が進み、日本人は戦後しばらくの間は苦しい生活を強いられた。

戦後はアメリカの近代文化が国民の憧れとなり、高度経済成長により日本は飛躍的な工業化と都市化を遂げる。これに伴い従来の生活習慣は革命的な変化をとげ、伝統的な生活習慣の多くが失われていった。しかし戦後日本はアメリカのコピーではなかった。アメリカの近代的な文化を受け入れながら、独自の日本的な形に消化し、多彩で豊かな食文化、アニメや漫画などをはじめとする新しい日本の文化が生まれた。アメリカに次ぐ経済大国となった日本は自信を回復し、1970年の大阪万博では「人類の進歩と調和」が謳いあげられた。

東アジアを除く諸外国では、近年にいたるまでもっぱら「サムライ」「ゲイシャ」などの一部の伝統的な文物が日本文化として知られていたが、1990年代以降、諸外国にも現代的な日本の大衆文化やサブカルチャーに興味を持つ人々が増えてきた。特にゲームやアニメ、漫画などのコンテンツ分野、食文化は欧米やアジアの都市部に浸透し、それらに関する店や施設(寿司バーや漫画ショップ)ができるまでになってきている。

現代文化: 昭和文化、大衆文化、サブカルチャー
総括
日本文化は有史以来、中国文化圏に属し輸入文化・翻訳文化の側面を持ち、積極的に外国の文化を摂取し、これを在来の文化と融合して日本化することで独自の文化を形成してきた。しかし、同じく中国文化の絶大な影響を受けた韓国・ベトナムと異なり、政治的には中国の諸王朝や中国を征服した元の支配に入ったことは一度もなかった。平安期と江戸期に日本は外国との交流を絶ったが、この時期に日本独自の文化が顕著に熟成されたという特徴がある。

強大な中華帝国唐が盛んな時代には、貴族は中国文化を模範とした天平文化を築き、留学生が学んできた先進文化が政策上の規範になった。

遣唐使が中止された後は「国風文化」が興ったが、この時期までの文化の中心は貴族と寺院であった。平安末期の平氏政権期から鎌倉時代にかけて日宋貿易が行われ、新しい仏教とともに精進料理や文人画などの中国文化が流れ込んだ。その後の日本の伝統文化にもこの時期に宋から取り入れられた文物の流れをくむものが多い。鎌倉時代には関東を中心にした武士の文化が京都の王朝文化と並び立つものとして勃興する。

室町時代には日明貿易によって引き続き中国文化が持ち込まれ、この時期に輸入された織物や陶器、書画などは、現代に残る伝統工芸品の技術に流れ込んでいる。室町時代から安土桃山時代には、戦国大名により各地に地方色豊かな文化が生まれた。

江戸時代、鎖国の世にも長崎を通じて中国との交流は続き、儒学者などの間には中国崇拝の風潮が強く残っていた。一方では日本の独自性への自覚から伝統への回帰として国学などの学問も興った。また、江戸時代は江戸・京都・大坂の3大都市を中心に町人の文化が栄えた時期である。

その後、近代日本の文化は、明治維新と連合国占領時代の2度、大転換期を迎えた。われわれ現在の日本人がイメージする伝統的文化にも明治以降に生まれたもの(例:神前結婚)や俗に言う外国文化であるもの(例:“コウノトリが赤ちゃんを運ぶ”という伝説。これはヨーロッパの民話であるが、日本でも地域的に定着している)も多い。「明治維新以降-第二次世界大戦降伏まで」の時代には、帝国主義国が植民地争奪を繰り広げる国際環境の中、西洋の圧倒的な文明と先進文化を前に日本のアイデンティティをどう捉えるかが課題であった。

日本を強国にするため積極的に西洋の文物を取り入れようとする動き(脱亜思想)と、独立のために伝統を強調しようとする動き(国粋主義)の両者が存在し、時には極端な西洋崇拝になったり、逆に外国を排斥するようになったりもした。第二次世界大戦後は、差し迫った危機感が去った(薄れた)ものの、両者の動きは続いていると見られる。

日本文化論
日本文化、あるいは日本人を特徴づけると考えられる概念を中心にした日本文化論・日本人論も多く提唱されている。

外国から見た日本
日本文化がヨーロッパでまず注目されたのは浮世絵などの美術品であった。その後、非ヨーロッパ国として初めて近代化に成功し、日清・日露戦争に勝利した日本に対して世界的な関心も高まった。外国からイメージされた「日本」の文化は、特に欧米圏では、キリスト教文化とは全く系統の異なる文化への好奇心(エキゾチズム)から、ある一面が誇張され、あるいは中国などと混同され、ステロタイプ(ステレオタイプ、紋切り型)化されて伝わる傾向があり、日本人から見れば「偏った認識」と思われるものが多く見受けられた(現在でも、日本に「ニンジャ」がいないので驚いたという外国人旅行者は少なからずいる)。

しかし近年では、日本製品やコンテンツ、TVゲーム、アニメやマンガ、J-POPなどが海外で注目され、今までとは違った「日本」のイメージを持つ者も増えてきている。ハリウッド映画にも、本気で日本を描こうとする作品が作られたり、日本映画をリメイクしたり、日本人監督を起用するなどの動きが見られる。

ジャポニズム - 19世紀末、浮世絵・琳派などの日本美術が印象派やアール・ヌーボーに影響を与えた。
フジヤマ、テンプラ、ゲイシャ、スシ、ニンジャ、サムライ、武士道、禅 - 明治期の開国で訪日した人の報告・訪欧した人の主張や、日清・日露戦争に勝利した日本を見て広まった印象・把握。
日本食 - 回転寿司、醤油、豆腐、すき焼き、照り焼きなど。海外で知られる日本食は日本のそれとは別物である場合もある。
エコノミック・アニマル、ジャパン・インコーポレイテッド - 高度経済成長期からバブル期の日本人の経済活動を揶揄した言葉。(揶揄ではないとの意見もある。『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史』多賀敏行著))
TVゲーム - マリオ、ゼルダの伝説、ソニック・ザ・ヘッジホッグ、ファイナルファンタジーなどが爆発的人気となる。
アニメ、カラオケ、オタク、やおい、腐女子 - 昭和から平成期の日本が外へ発信した。
日本映画 - 黒澤明、小津安二郎、北野武らの作品が海外で高く評価された。
ヴィジュアル系、テクノポップ、ジャパニーズ・ハードコア
J-POP - 1990年代、アジアを中心に、世界に影響を与えた。
ファッション - コム・デ・ギャルソン、ヨウジ・ヤマモトなどのブランド。裏原宿系、ロリータ・ファッション、ギャル・ファッションなどの日本独自のムーブメント。
可愛い - いい印象、好ましいイメージ、目指したい姿像を表す言葉・概念「カワイイ」が、2005年頃、海外に広がりを見せる(他の国の例では、たとえばアメリカの同様の言葉・概念に「cool」がある)。
もったいない - 複数の意味を現した外国語にない日本語の一つ。環境保護活動家ワンガリ・マータイが感銘して世界にMOTTAINAI運動を広める。

民話・伝承・昔話
日本各地に様々な言い伝えや民話・昔話などが伝わっている。

都市伝説・噂
学校の怪談
迷信

2009年01月24日

ドラグナー遊撃隊

どんどん橋 バンケット ドラント カステラ セルフ ターン トーチカ ピアサポタ リーバス クロラール キッチ かほく ビジター スピカ 大地の景色 モンゴル 真昼の月日 ドス上位 オーバリ マグネ クロマト モンタント やんぐこ セレス カウハイド ハナショ たそがれ フカロッ ヒノキ ベット カリス マニキ こちんだ バイサイド ラフ アウト タイガー キュラ やまびこ ブーム 大冒険 スケット トランス ハーレム クライ ジンマカオ バック ロスマリン キレイ モアイ

ケーン・ワカバ
声 - 菊池正美
地球連合軍ドラグナー遊撃隊所属。階級は准尉(軍属当初は三等空士)。
メタルアーマー「ドラグナー1」・「D-1カスタム」のパイロット。
西暦2070年8月4日生、身長172センチ、体重59キロ、血液型B。
本編の主人公。日本TOKYO出身の日系2世。父は地球連合軍参謀のジム・オースチン、母は中立コロニー「アルカード」入国管理官のアオイ・ワカバ。ただし両親は離婚し、母と暮らしていた。母方の祖母はギガノス占領下の青森で暮らしている。
元々はアルカードにある民間のアストロノーツアカデミーの生徒。アカデミー時代はリーゼントに上着はスタジャンというスタイルだった。輸送船アイダホでドラグナーのパイロットに任命された直後にお目付け役のベン軍曹に髪をバッサリ切られる。
基本的には直情型かつ熱血漢で、後先考えないで突っ走るタイプ。ドラグナーのパイロットとなってしまったのもアルカードを強襲したギガノスに一泡吹かせようとケーンが言い出したことが原因である。リンダに一目惚れし、その想いは彼女の秘密を知ってからも変わらなかった。
アルカードでギガノス軍の侵攻に遭い偶然軍事機密のディスクを手にして逃げ込んだ先に偶然ドラグナーが保管されており、このディスクが偶然ドラグナーのものであったことからパイロットとして登録されてしまう。以後、なし崩しに地球連合軍の軍属となり、ギガノス帝国軍との戦いの渦中に置かれこととなる。元々民間人であったため、戦闘については素人だったが、数々の戦いを経てエースパイロットとして敵にも知られるまでに成長していく。
輸送艦アイダホ救出の際には、拿捕されていた中継基地を丸ごと爆破し、多数の艦船とMA、9000名以上の人員を葬り去った。
地球に降下してからは英雄として扱われ、6階級特進[2]となったことなどから増長する場面も多々あったが、友人ビルの死などにより素行はやや落ち着くことになった。また、カムチャッカ半島沖のギガノス軍補給基地強襲においてはMA20機以上を基地ごと潰し、日本では青森の竜飛岬の要塞を爆破、中国大陸においてはグン・ジェム隊を壊滅させ秘密基地を爆破するなど凄まじい活躍を見せる。
宇宙機動要塞攻略戦においては母親を人質に取られたため、やむなく乗機とともにギガノス帝国軍に投降し、忠誠を示すため地球連合軍と戦っていたが、リンダとベン軍曹が母親の救出に成功したおかげで反撃に転じ、マイヨと共闘してドルチェノフに深傷を負わせた。
タップ・オセアノ
声 - 大塚芳忠
地球連合軍ドラグナー遊撃隊所属。階級は准尉(軍属当初は三等空士)。
メタルアーマー「ドラグナー2」・「D-2カスタム」のパイロット。
西暦2070年5月13日生、身長172センチ、体重72キロ、血液型O。
ニューヨーク出身のアフリカ系アメリカ人。黒人。チューインガムを噛み陽気で音楽好きという当時のステレオタイプ的な黒人像で描かれている。両親と兄弟姉妹はギガノス占領下のニューヨークに住んでいる。
ケーン同様、元々はアストロノーツアカデミーの生徒。偶然ドラグナー2に乗り込み、戦いの渦中に置かれてしまう。
ロックが好きで、携帯CDプレイヤーでよく聴いている。最初のCDプレイヤーはギガノス軍の基地に仕掛けた爆弾の起爆装置として使われることになる。ローズに想いを寄せており、彼女が肺炎で倒れた際には、出撃せずに看病し続けた。
ライト・ニューマン
声 - 堀内賢雄
地球連合軍ドラグナー遊撃隊所属。階級は准尉(軍属当初は三等空士)。
メタルアーマー「ドラグナー3」のパイロット。
西暦2069年10月9日生、身長175センチ、体重62キロ、血液型A。
イギリス出身。父は地球連合軍欧州統括理事会常任理事。祖父は元英国下院議員で貴族のバーモント卿という名門の家系。
ケーン、タップと同じくアストロノーツアカデミーの生徒。偶然ドラグナー3に乗り込み、戦いの渦中に置かれてしまう。
コンピューター好きであったため、ドラグナー3の特性を最大限活かしていた。戦闘中にドラグナー3で分析した情報を元に事態の打開策を立てるなど、ドラグナーチームの知恵袋的存在。
ジェームス・C・ダグラス
声 - 大滝進矢
地球連合軍ドラグナー遊撃隊所属。階級は大尉(以前は少尉)。
本来はドラグナー1の正式パイロットになるはずだった。ケーン達がドラグナーパイロットとなってからは、教官として彼らを鍛える任に就いた。
宇宙機動要塞攻略戦において、本来のドラグナーパイロットとしての本領を発揮する機会を得て、自らドラグーンに搭乗し、ドラグーン隊の隊長を務める。
ダイアンに気があったようだが、ケーン達の計らいもあって彼女は部下であるベンと結婚してしまう。
リンダ・プラート
声 - 藤井佳代子
地球連合軍ドラグナー遊撃隊所属。階級は特務中尉。
西暦2070年11月25日生、身長160センチ、体重47キロ、血液型A。
ソビエト連邦(現ロシア連邦)出身。父はドラグナーの開発者であるラング・プラート、兄は元ギガノス帝国軍のエースパイロットであるマイヨ・プラート。本作のヒロイン。
難民として輸送艦「アイダホ」に乗り合わせていた。
かつては電子工学を専攻していた。
父や兄との複雑な境遇から当初は心を閉ざしていたが、ケーンの熱烈なアタックを受けるうち、次第に心を開いていく。
宇宙機動要塞攻略戦においては、ベン軍曹と共にケーンの母親を救出し、ケーンの地球連合軍に対する攻撃を止めさせるきっかけをつくった。
ローズ・パテントン
声 - 平松晶子
地球連合軍ドラグナー遊撃隊所属。階級は特務少尉。西暦2070年9月30日生、身長155センチ、体重46キロ、血液型AB。
難民として輸送艦「アイダホ」に乗り合わせていた。
戦争で行方不明になった両親を探している身だが、常に明るく振る舞っている。
当初は自分に思いを寄せるタップをまるで意識していなかったが、次第にまんざらでもなくなってきたらしく、彼が敵に捕らわれた時には心配する様子も見せた。
ベン・ルーニー
声 - 島香裕
地球連合軍ドラグナー遊撃隊所属。階級は軍曹。
独身。妹が一人いる。終戦後、ダイアン・ランスと結婚する。
輸送艦「アイダホ」にてD兵器(ドラグナー)輸送の任に就いていたが、突如軍属となったケーン達3人を厳しくしごき上げた。スキンヘッドと厳めしい面構えだったが、意外に人情派なところもあり、ケーン達にとっては頼れる兄貴分でもある。この関係はケーンたちが昇進し、軍曹の上官となってからも変わることはなかった。
宇宙機動要塞攻略戦においてはケーンの母親を救出する作戦を上申し、リンダ特務中尉と共に救出にあたった。

その他
ジム・オースチン
声 - 嶋俊介
地球連合軍第2海洋戦域軍参謀。
ケーン・ワカバの実父。生き方の違いにより妻のアオイ・ワカバとは離婚している。結婚生活は13年間であった。息子のケーンからは出世ばかり考え家族を捨てた男として嫌われている。
ヤム
声 - 戸谷公次
地球連合軍所属。階級は少佐。
ドラグーン隊の隊長。拳法の達人でもあり、ケーンに自身の父親であるラオチュンの修験道場を紹介する。
ダイアン・ランス
声 - 勝生真沙子
地球連合軍情報部所属。階級は少尉。西暦2064年6月27日生、身長165cm、体重52キロ、血液型A。
難民として「アイダホ」に乗り合わせていたが、実は地球連合軍諜報員でリンダとローズの警護と中国大陸の重慶までの同行の任に就いていた。
重慶到着後は別の任務のため転属となったが、終戦後ベン・ルーニーと結婚した。
ギニール
声 - 池水通洋
地球連合軍第1機甲中隊隊長。階級は少尉。
戦闘ポッドのパイロット。妹へのプレゼントをケーンに託し、ドラグナーを守ろうと戦死した。
ロイ・ギブソン
声 - 秋元羊介
輸送艦「アイダホ」の艦長。
D兵器(ドラグナー)輸送の任に就いていた。無断でドラグナーを持ち出すケーン達を警戒しつつも黙認した。
ケニー・ダンカン
声 - 柴本広之
輸送艦「アイダホ」の航海長。
D兵器(ドラグナー)輸送の任に就いていた。

2009年01月17日

魔神王との最後の戦いから始まり

ロードス島戦記 (SFC)(1995年12月 / 発売:角川書店 / 開発:ハミングバードソフト)
魔神王との最後の戦いから始まり、その後の歴史を4章仕立てで、記憶をなくしたカーラ、マーモに渡ったベルド、聖騎士隊長ファーン、そして最後にパーンが、章ごとの主人公として小説1巻の終わりまでのストーリーが描かれる。仲間に入るサブキャラはオリジナルキャラが多い。第1章ではカーラの配下の双子のハーフエルフの戦士リオンと精霊使いシオン。第2章では、元アラニア貴族のアッシュ、ファラリス司祭ウンバラ、ダークエルフのサキルス。第3章ではヴァリスの聖騎士見習いテシウス、ファリスの高司祭グレゴ、首都ロイドの盗賊ギルド長レンダー。第4章ではエト、スレイン、ギム、ディード、ウッド。
システムは、見下ろし型のフィールド・街、クォータービューのダンジョン、3×5マスのフィールドで行われるエンカウント戦闘となっている。
ロードス島戦記 -英雄騎士伝- GB(GB&GBC共通)(1998年12月11日 / 発売:トミー)
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
ロードス島戦記 邪神降臨(DC)(2000年6月 / 発売:角川書店 / 開発:ESP、ネバーランドカンパニー)
若き姿で記憶をなくして復活した赤毛の剣士が邪神戦争の中で戦う。何故かレイリア本人が登場するのに、カーラもレイリアの姿で登場(開発者いわくカーラのこの姿は、レイリア以外の見た目は考えられないと意図的にデザインしたとのこと)。
システムは3DのアクションRPG。
広告やゲーム雑誌での紹介などの拡販策が充分に取られなかった事もあり、当初は殆ど話題に上がることは無かったが、口コミやインターネット上では「DCの隠れた良ゲー」として細々と評価される。後にバグを修正した再発版(パッケージイラスト等も差し替えられる)が発売されるが、一部アイテム類の無限入手が可能な初期版はネットオークション等で希望小売価格を遥かに上回る値で取引された。

ゲーム攻略本
コンプコレクションスペシャル パソコン版ロードス島戦記<公式ガイドブック> - 著:高山浩とグループSNE / 表紙:出渕裕 / 角川書店
PC98版およびそれに準拠した機種のIとIIの攻略。高山浩のコラムや、他機種版の紹介、攻略のほかに、モンスターデータなどの各種詳細データなどが掲載。
ロードス島戦記 HAND BOOK 1 - 著:高山浩とグループSNE / イラスト:山田章博 / ビーエヌエヌ
PC-98版「灰色の魔女」の攻略を主としたハンドブック。山田章博によるイラスト多数。リプレイのかけあいのような戦闘解説も掲載。
ロードス島戦記 HAND BOOK 2 - 著:高山浩とグループSNE / イラスト:山田章博、佐々木亮 / ビーエヌエヌ
PC-98版「五色の魔竜」の攻略を主としたハンドブック。アイテムデータはIとIIの両方を掲載
シンビジ 検索ゆに 日光街道 熱帯魚 パース サーチ秀月 サンバ しべつ ジギタリ ドロス 章姫 ひまわり 風の森 リミング フラメンコ オライタイ トロイ オスロ バルバ バハマ タイリン 透明人間 アルコ いとの キーワ ランチドポ ハイフ 未来の果実 テイステ 若菜摘 コリーナ マントル ぼうし チャレン いながき マナウス ブイシネマ ネイショ プロ うすき ブリュッセ リコソウ プレメイ ウォーム よりどころ 流星 メリー たくぼ ひない クロス

PCエンジン版 ロードス島戦記公式ガイド - PCエンジンCD-ROM2版の1の攻略本
PCエンジン対応 ロードス島戦記[復活] - PCE版の1とセットになった攻略本
PCエンジン対応 ロードス島戦記II[体験] - PCE版の2の体験盤とセットになったガイドブック
PCエンジン対応 ロードス島戦記II[制覇] - PCE版の2の攻略本
メガCD版 ロードス島戦記 体験CDロム付公式ガイドムック
ロードス島戦記 邪神降臨 公式ガイドブック - ドリームキャスト版の攻略本

ラジオドラマ(ラジメーション)
文化放送とラジオ大阪にて全16回の放送。「風と炎の魔神」はOVA2作目となる企画があったが、企画は中止されラジオドラマのみに。台本等が付いたCDシネマ版と、「炎を継ぐ少女」(著:水野良)が収録された書籍扱いのCDブック版がある。

ロードス島戦記 風と炎の魔神 1 砂漠の王国
ロードス島戦記 風と炎の魔神 2 ナルディアの苦悩
ロードス島戦記 風と炎の魔神 3 アラニアの賢者
ロードス島戦記 風と炎の魔神 4 そして、解放されるもの

カセットブック
カセットテープ版と、CD版がある。1~3は書き下ろしのオリジナル脚本。 1~6のCD版とアレンジサントラを併せた「スペシャルパッケージ」もある。

ロードス島戦記 カセットブック 幻惑の魔石 - 小説1巻のオリジナル・サイドストーリー
ロードス島戦記 カセットブック2 宿命の魔術師 - 小説3巻のオリジナル・サイドストーリー
ロードス島戦記 カセットブック3 魔獣の森 - 小説3巻のオリジナル・サイドストーリーで、アラニアの魔術師、魔獣使いエレーナのエピソード
ロードス島戦記 カセットブック4 妖精界からの旅人 - 「ハイエルフの森」のストーリー
ロードス島戦記 カセットブック5 …開かれた森 - 「ハイエルフの森」のストーリー
ロードス島戦記 カセットブック6 復讐の霧 - 「ハイエルフの森」のストーリー

音楽CD
アレンジ・サウンド ロードス島戦記~灰色の魔女~ (1989年4月21日 / ビクター)
アレンジ・サウンド ロードス島戦記II~五色の魔竜~ (1992年3月27日 / ビクター) - 数曲を1トラックずつにまとめた形のアレンジアルバム
ロードスクロニクル サウンドトラックス (キングレコード)
発売中止になったWindows用ゲームソフト「ロードスクロニクル ロードス島戦記III」のオリジナルサウンドトラック。1999年4月2日にはマスタリングを終え、CDアルバムは制作完了して5月28日に発売予定だった。
ロードスクロニクル ファーストカット (1999年3月 / キングレコード)
『ロードスクロニクル サウンドトラックス』から3曲をアレンジしたシングルCD。東京ゲームショウ'99春のキングレコードのブースで、「ロードスクロニクル ロードス島戦記III」の主題歌のライブが「ジェンダワヤン(Genderwayann)」(浜野宏子(ワヤン)と遠藤雅章のユニット )によって3日間に10回行われ、抽選配布された。
Name the Sky ソラノナマエ (2001年2月28日 / グリーンエナジー)
ジェンダワヤンの2ndアルバム。「Soul Crystal Ball <魂の水晶球> 」などの、発売中止になったWindows用ゲームソフト「ロードスクロニクル ロードス島戦記III」の楽曲のアレンジ曲を収録。
raira ライラ 新千夜一夜物語 (2002年6月26日 / キングレコード)
ジェンダワヤンの3rdアルバム。発売中止になったWindows用ゲームソフト「ロードスクロニクル ロードス島戦記III」の楽曲のアレンジ曲を収録。
ロードス島戦記 オリジナルサウンドトラック (1996年1月 / ビクター) - スーパーファミコン版ゲームソフトのサントラ
ロードス島戦記 風と炎の魔神 オリジナル・サウンドトラック - ラジオドラマのサントラ
ロードス島戦記 吟遊詩人の記憶 - カセットブックのアレンジ・サウンドトラック